ご存だろうか・・・。

心スポ→【呪いの灯篭】
   →【旧女鬼トンネル】

三重県津市に存在するという中河原海岸・・・。

痛ましい事故。女子中学生集団水死事件。

事件は1955年7月28日、中河原海岸(文化村海岸)で橋北中学校の夏季水泳講習が行われていたそうです。

この日は10日間行われる水泳訓練の最終日。水泳能力テストが行われる予定でした。

記録によると天候は良く、波も穏やか。

周辺の海は遠浅で足が付く程度の深さなので、安全な場所だとされていて、連日に渡り水泳講習が行われていました。

この当時は学校にプールが設置されていることが少なく、水泳の授業は海で行うのが当たり前だったそうです。

講習に参加した女子生徒数は約200名。その内泳げない者が大半を占め、テストで少しでも泳げる者としての認定を受けようと、浅くて水泳に適さない渚寄りを避け、大勢が沖の境界線に集まっていた。

ところが海に入って数分後、女子生徒100名前後の者が一斉に身体の自由を失い溺れるに至りました。生徒のほかに女性教諭も溺れています。

このとき、近くに居た教諭や3年生水泳部、海水浴客が協力して救助に当たりました。

13名は意識を取り戻したが、36名は生き返らなかった・・・。

発端は事故から8年後に「女性自身」が掲載した生存者の証言

『いわくがある』と言われる要因となったもの

・「女性自身」が掲載した生存者の証言
証言:「事件当時、黒いかたまりがこちらに向かって泳いできた」
   「黒いかたまりは間違いなく何十人という女の姿で、防空頭巾をかぶり、モンペを履いていた。」
   「夢中で逃げる自分の足を引っ張った」

・事故の生存者らからの証言で「亡霊に引きずり込まれた。海の底から引っ張りに来た」という証言がいくつもあがった。

・水難事故当日の「1955年7月28日」。実はちょうど10年前にあたる「1945年7月28日」は太平洋戦争中で、津市は空襲にあい、避難民250余名が命を落としていた。避難した女子学生たちが、同じ場所で水死した。つまり事故があった日と同月同日であった

・空襲にあい、避難民250余名が命を落としていた。火葬が間に合わなかった遺体はそのまま海岸に埋められた。記録によると、事故現場付近の海岸に埋葬された無縁仏は36体。奇しくも水難事故の犠牲者と、海岸に埋葬された遺体の数が一致していた。

・これだけ大勢の同時水死事件は世界的にも例が無い。

実は付近ではこの事件以前にも類似事件が起きていた・・・。

1933年に京都市の岩倉小学校が臨海訓練中に早潮に流され12名の水死者が出ていた。

詳しい情報が無いので深堀はできませんでしたが、中河原海岸近辺で水難事故があったということは確認できました。
やはり、「異常流」が主な原因だったのでしょうか。

警察への通報がもっと早ければ、多くの人命を救えていた・・・?

これだけ時間が経ってしまった事件なので、いまさらにわかには信じ難い情報ですが。

実は事件当時、三重県では教職員組合『三教組』の活動が非常に活発であり、その中でも橋北中学校には校長以下組合活動に熱心な教師が大勢おり、事件の前日も当時国会で審議されていた教育委員会法改正に対する反対運動を津市内各所で行っていたそうです。

つまり、『組合活動の手前、警察の介入を嫌がり故意に警察への通報を行わず被害が拡大した』。

その後に、『あの事件は霊の仕業だ』『空襲で焼け死んだ少女の霊の仕業だ』という噂が飛び交うようになったそうですが、地元では、『あの事件が霊の仕業なんて言っている連中は三教組の連中だ』と囁かれていたそうです。

つまり、『自分たちの不手際を覆い隠すために三教組がオカルト話を故意にでっちあげた』という噂があるのです。

もうこうなってくると都市伝説的になってきてしまいますね。

信じるか信じないかはあなた次第です・・・。