松浦武四郎

「北海道の名付け親」

武四郎は、江戸時代の終わりから明治にかけて活躍した「探険家」。
伊勢神宮につながる宿場町で、伊勢神宮へと続く伊勢が移動沿いに武四郎の家があった。
はるか遠方から伊勢神宮に訪れる旅人たちを日頃から見ており、武四郎は旅への関心を強めていきました。
蝦夷地に6度に探査しに赴き、アイヌの人々とも交流を深め、当時の蝦夷地の様子を詳細に記録し、残しました。
また、アイヌの人々が蝦夷地で安心して暮らしていけるようにと思い、行動した人です。

武四郎は蝦夷地に詳しい第一人者として明治政府の一員となります。
開拓使の役人として、「蝦夷地」に代わる名称を提案。最終的に「北加伊道」の「加伊」が「海」となり、「北海道」と名づけられました。
武四郎は調査時に出会った長老アエトモから、「カイという言葉は、この地で生まれたものという意味」と
教えられており、「北加伊道」にその意味を込めていたと言われています。

武四郎は、アイヌの人々を苦しめていた「場所請負制度」の廃止を訴えていました。

画家、書道家、歌人、登山家としても有名です。
釧路市内には松浦の名が地名や公園、郵便局などに残っています。

ちなみに、蝦夷地に関わる書物は、生涯で151冊執筆しています。